Tuesday, May 11, 2010

湘南ライフ (3) - 自転車乗る人の挨拶

湘南ライフ (3) - 自転車乗る人の挨拶
自転車「階級」
日本にはそう言う習慣がないというならそこまでですが、ドイツでは自転車(ママチャリでコンビニに買い物しに行く人ではなくて、見れば「自転車が好き」な人)、オートバイ等お互いに知らなくても挨拶する風習ある。
それは残念ながら日本に余りないようです。
昔バイクも乗った時ライダー同士に挨拶するのは皆無だと気付いたときにもがっかりした。

最近の「自転車ブーム」で大変高級の自転車乗る人(団塊世代を含めて)が随分増えてきた。高級の自転車だけではすまない。色やデザインに合わせて頭の天辺から足の先までやはりブランド品のファションも身につけないと気がすまないようです。
私はそういうファションを購入するお金もないし、その意志もない。従って、私は走るときいつもボロボロのズボンとTシャツ(何れ汗まみれになるから)。しかし、そのような水簿らしい姿をして、例の高級ブランド品を身に纏う人を挨拶すると、帰ってくるのは挨拶ではなく、向こうに向いて「フムッ」。100人に挨拶をしてもその挨拶を返してくれる人は2-3人程度でしょう。

やはり何かの階級があるようで、私のような貧乏人は上げるべきではないでしょう。

寂しいですね。

Monday, May 10, 2010


湘南ライフ (2) - 我侭
これはきっと湘南に特別限定する必要はないでしょうが、私は「植物人間」 (=どこかで根を下ろし、後で動かない)ですので、目の前にあることについて述べる。
先日写真で分かるような形で仕事場の向かい側にあるマンションの車庫の真ん前に車と止める人がいた。写真撮ってから2-3分ご車庫から車で出ようとして、大変苦労した模様だった。似た形で他人に迷惑する事は最近町中所々で見かける。
マンションの車庫の真ん前に車と止めるのは所謂「常識に反する」だと思うが、それをやった人はきっと今風の人間だった = 自分さえ良ければお構いなしで結構。
私は現在31年間ほど日本に住んでいるが、その間そのような人間が随分増えたような気がする。日本人は他人を考慮する事が得意とするだと来日する前に信じていたので、残念だ。

Wednesday, May 5, 2010

I had a dream .....

「私には夢がある」(=I Have a Dream) Rev. Martin Luther King, Jr. 1929-1968


キング牧師程ではないが昔 - 夢が未だいっぱいあった頃 - 時々聞かれた:将来何をしたい/ なりたい?

その時何時も「この手で世界を変えたい」と答えた。
お金や権力の事ではない:文字通り「手」の仕事で世界に影響を及ぼしたい。
生意気でしょうが、治療者に相応しい「魔法の手」をしていると勝手に思い込んでいる。その手を使って、間の価値をを生み出したかった、職人として。

でも、既に51歳にもなって未だ自分の「天職」だと又思い込んでいる職業の基本もできていない、その夢を改めるべきでしょう:
三流の(私は)職人として何とか頑張る。

前ほどいい夢ではないが、これも悪くない・・・

湘南ライフ (1) - サーフィング

今日も自転車で治療院から海岸線を江ノ島まで走ってきた。それは昨年から再び昼休みの定番コースです。今日は温暖で穏やかのお天気で、海が絵本に出ても可笑しくない静かで綺麗だった。写真を撮るなら典型的な「静かな海」でした。つまり波はあるとしたら高さは27cmぐらい ・・・
しかし、海に大勢のサーファに賑わっていた。
私は多分歳を取り過ぎているでしょうが、上記の27cmの波を長時間を待って、もし来たとしたらそれに乗られたとしても、水平方向に進む(?)距離は58cmぐらいでしょう。その魅力は何でしょうね。
ヴィンドーサーフィングならまだ分かる。多少の風があれば快適から興奮するほど「走れる」でしょう。
でもサーフィングは???
もしかして目的はサーフィングそのものではなく ・・・

ダイエット (減量)


ダイエット (減量)

(写真: 昨年4月仕事用に「特大サイズの専門店」で買ったズボンです。その時丁度良かった。)
本職(自分は天職だと思い込んでいる)の鍼灸以外に翻訳(生活の基盤)の仕事関係でいつも深夜まで仕事する。食事の際晩酌をすれば眠くなり、仕事が出来なくなるので、深夜まで仕事していて、「今日はこの辺まで・・・」と思ったら、お酒少々飲みながらぼーとしながらテレビを見てから寝た。そこまでは未だ許されるかもしれないが、お酒に添える美味しいおつまみも冷蔵庫から見つけ出すのは災難の始まりだ。

このような生活をしてから昨年(2009)の7月に体重が三桁(100kg、身長169cm)まで増えた。体も重く動きにくかったし、そして鍼灸師の立場からも患者に少々減量したり、運動した方がお勧めだと言いながら自分は何もしなければ、「先生=先に生きる=模範」と呼ばれる資格がないため「減量」し始めた。
「ダイエット」は適切な表現ではないかもしれない。チョコレート、ドーナツ、豚カツなどなどなどなんでも食べるが、食べる量全体を少し減らし、深夜の酒も減らし/止めて、そして昔よく乗った自転車を再び乗る事にした。今頃略毎日約一時間一所懸命汗をかくようにに走っている。

昨年の7月から今年の2月(7―8ヶ月で)まで体重は凡そ21kg減った。
「やれば出来るな」と自分でも思った。
ただ単に食べ物制限するのではなく、余分のカロリも燃やしているから、体は歳の割りにそれなりに引き締まって来た。勿論運動によって、脂肪が落ちるだけではなく、訛っていた心肺機能も再び活性化された。
お陰さまで過去15―20年に刷けなかったズボンを再び刷けるようになった。それは嬉しいニュースでありながら、昨年お出かけように買った高価のズボンは今刷けばピエロのように見える。

今年の夏まで「第二ステージ」を挑戦して、更に4kg位を減らて見たい。
成功すればやっと身長で割り出す「正常の体重」領域に入る予定。
これで「先生」として自身を持って患者にアドバイス出来るし、ある程度の説得力もあるでしょう。

** 上記のお話は読売新聞の「体験談」に投書した所、紙面には載らなかったが所謂オンラインサイトに掲載していただきました:
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=28831

Friday, July 24, 2009

エコー商品・・・

エコー商品・・・

最近の「キーワード」。エコー商品の他にエコーポイント(政府発行)もあるようだ。しかし折角のエコー商品があって、僅かの電気代を節約して、CO2排出を削減が出来ても、人々はエコ精神が呆れるほど欠けているならば何もならない。
典型的な例:スーパーの駐車所に止めてある車はエンジンをかけぱなし。夏はクーラーを作動させ、買い物の帰りに車の中に「快適な温度」を確保するため、冬では同じようにヒーターをつける。又は、道中に知り合いを見つけ、車と止めて暫くおしゃべりする。こっちもエンジンをかけぱなし。窓開けたままではクーラーもヒーターも無意味。ではエンジンをかけぱなしにする意味はどこにあるでしょう。
そこら中のマンションや集合住宅の廊下は全て電気つけぱなし。特に真夜中にはどのような意味あるのだろうか。私は子どもの頃既にドイツでは集合住宅の廊下に押しボタンあった。誰か廊下に出て、それを押して、タイマーで暫く電気がついた。時間になったら自動的に消えた。今風のハイテックの日本にはそのような事はできないのかなあ?
そのような形で日頃の愚かな行動で折角のエコ商品の効果はだいなしになるだろう。

工業レベル:先日通訳の仕事をした。製鉄所では何かの石炭を粉にする巨大な設備を新たに入れようとしたので見積もりなどを各社から入手したようだ。私の仕事は無論ドイツの会社からプレゼンテーションをする技師のドイツ語の通訳だった。ドイツの会社は作業の効率よい、電気代も節約できる設備(ヨーロッパの環境基準や規制に適応したもの)を薦めたが、日本の製鉄所は設備費を節約するため、電気の使用量を大幅上昇(年間200万円程)する、排気もヨーロッパで考えられない(規制されている)ほど増える設備を要求した。年間200万円の電気節約は設備のコストを考える上では大したことないかもしれないが、環境はどうなるだろう。その設備を購入する人達は大丈夫だろうが、その人たちの孫はどのような世界で生きていかなければならないだろう・・・

Sunday, July 19, 2009

Timeless

Timeless 

最近治療に関す る広告は例外なく時間単位で料金を記述する。例えば40分は6000円、つまり1分当たり150円となります。流行の「クイックマッサージ」も10分で 1000円で超過分は別料金となります。しかし、患者は果たして自分の悩みを「何分」で打ち明けられ、治療者は果たして「何分」以内患者を「診る」事出来 るのでしょうか。  私は治療に掛かる時間を指定しないほうが良いと信じています。悩みの多い患者の場合治療時間当然長くなる。それに対して何かのケチも付けません。

且つで日本の医療に強い影響を及ぼしたドイツでは「外来診療」を “Sprechstunde” =「話す時間」と言ます・・・