Wednesday, June 23, 2010

鎖国時代

日本は - こちらの関連ですと鍼灸の世界 - はまだまだ鎖国時代から抜け切れていないような気がしますし、その鎖国時代は余りにも長い間続いたため直ぐにそれなりの変化は見られないでしょう。
* 専門学校に入る前に数件見に行きました。一つの学校では試験も何もしないで「内は外国人要りません」と断りました。
* もう20年余り前から(当時に今風のブログなどなかった)私は常に聞きたい人(聞きたくない人にも言いましたが)に「日本人は自分の技術、伝統。文化などにプライドを持つべきです」言いました。相手はそうですねと言いながら顔の表情から「あの外人は頭おかしいじゃないか」とはっきり写っていました。
* もう10年余り前から私宛に「日本で勉強したい」と言う願い/問い合わせが来る時色々と努力して来ました。自分の所には殆ど患者もいないし、私は無知で技術的も劣等生であるから、その度自分より遥かに立派の先生に連絡しましたが、「お前煩くて迷惑」だと言われたりして、仲間から「お前訳のわからない外人の面倒見るのはやめろ。自分の評判を悪くするだけだぞ」も言われました。
* 10年ほど前に全日本鍼灸学会において特別公演はNIH(だと思う)の代表者がなさった。その中にNIHが鍼灸に関する"consensus" を発表するまでの経緯が述べられた。あやふや、信憑性の(殆ど)ない中国の文章に基づいて鍼灸に関する「化学的根拠」を見出された。しかし、例の consensusは得られた後になったころ、それより信憑性の良い、良く纏められた文章は既に20年ほど前に日本で発表されたが、英訳がなかったし、日本人は自ら進んで「ほろ、こんなにいいものありますよ」と言わないから知らなかった。結果として鍼灸に関して「知的財産」(その辺中国人全く概念理解できていないのに)皆中国の物だとなりました。
* 昨年 International Symposiumにおいて海外の演者を読んで幾つかの公演がありました。しかし、全ての発表を通して「中国風=本当の鍼」、「日本風=偽の鍼(sham acupuncture)」との風潮が貫きました。演者本人皆「日本の鍼(の事情)は知らない」と言いました。日本の鍼を讃えるものはいなかったし、外国人講師に積極的に反論する者もいませんでした。それらの講師を招いたのは何方でしょうか。
* よって、過去何十年の間中国の強い売り込みに対して日本人は内気になって、自分の良さ世界にアピールする事は略皆無でしたでしょう。つまり、中国風の鍼は唯一の「本当」の鍼(技術)で、日本は中国の出来損ない弟子に過ぎないことが世界中の「常識」となった。
* 翻訳関連ですが、アメリカで「日本の漢方」(=中医学ではない!)ある雑誌を通して広めたりして、理解をしていただくために時々翻訳する文章あるが、その表現、表記の仕方中国語もどきや外国人に理解が殆ど不可能の形を意図的に選んでいる(http://blogs.yahoo.co.jp/thoacu/60300971.html)。

* この状況の中では鍼灸を学びたい人は**先ず**中国を見るでしょう。日本に注目する人は少ない筈です。言ってみれば**日本**で鍼灸を学びたい者はかなりの変わり者だと言うようがありません。しかし、それをいい方に解釈すると、態々日本で何か学びたいと申し出る人は最初かそれなりに勉強してきた筈 = 勉強家で、真面目で頑張りやだと考えても然程おかしくありません。
そして、日本で鍼灸に関して学びたいのは夢です。ですからそういう人は自ら「日本の先生は英語出来ないから行かない」と言う人は私は今までであった事ありません。勉強したい人は自分から進んで日本語を勉強する努力もするし、身振り手振りでよい。何とかなるでしょうと言う覚悟で来ようとします。
その半面に日本の先生は「私は英語出来ないから、内の所に来ては困る」と断ると言う閉鎖的な対応するチャンスが大きいです。
それで今までやっと見学希望者を「受け入れる」兆しが微かに見えたといっても、原則的見学は一日、或いは半日に限る、或いは(その意味私には理解出来ないが)全日本鍼灸学会の会員でない先生が協力を申し出ても「断る」と規制が掛けられる。

私にはやはり「鎖国時代」に見えます。もし「見学(修業)希望者」がいましたら添付の写真のように我が家の周りにとても人を寄せ付けないように壁で囲むより両腕を広げて真の意味で「歓迎」(喜んで迎える)体制だけでも確保する事は何とか出来ないでしょうか。
お蔭様で

開業15周年
トーマス鍼灸院




葉山町でこの小さな治療院を開業してから、
早くも15年経ちました。

歴史の資料を見ますと:
「日本に鍼灸の技術が伝わったことは6世紀頃から記録が残っています。奈良時代(710~784)には高僧鑑真が医学教育に携わったことが有名で、「律令制」において既に鍼師(官職名としては針博士・針師)が医師、按摩師などと共に存在していたことが分かる。」

つまり、日本で既に1300年余り途切れることなく、教育(資格)や社会面において安定されている形で行われている事から鍼灸治療は良い、信頼性のある職人技である事が分かります。
私は個人的に今更現代風の売り込みしたりして、意味がはっきりしない「ヒーリング」や「癒し」等の流行の言葉で宣伝するのは邪道だと感じます。
無論、鍼灸治療は魔法でもないし、多くの場合には西洋医学的治療法の方が遥かに有効ですが、同じく多くの場合後者はなす術もありません。その際こそ千年以上を亘って洗練された伝統的技術を再検討/思い出す/振り返って見るべきのではないでしょうか。

私はそう信じます。

Friday, June 18, 2010

人ゴミ ・・・



人ゴミ ・・・

「人ゴミ」は無論「人込み」の事ですが、例年通り夏の期間中多数の観光客が来ると、その数次第で「込み」は「ゴミ」になるのは特に目立っている。しかし、年中私は理解出来ないような概念を持っている人が他人に自分のゴミを押し付けて(人の敷地を汚して)何かを表現したいらしい(此方の勘違いか)。つまり、観光客は来るとき重たい 物(食料、飲み物など等)は「わしょいわしょい」しながら来るが、手ぶらに帰る。ゴミは全部置いてしまう。
ゴミ箱に入れたりするのならはまだいいですが、手当たり次第、何処でもいいと言うスタイルで「置いておく」事も勿論あるが、どちらかと言うと「ぽい捨て」 と言えば適切でしょう。

そういう訳で私は本来は綺麗なビーチを汚す人を「人ゴミ」と呼ぶ(呼ばざるを得ない)。

その中もまた「特殊」の行動がある。私の治療院も常にその対象となる:
歩きながら何かの缶ジュース/コーヒー等を飲んだりして、***技と***人の家の玄関前、ブロック塀の上、ポストの上等に置く。
そういう人は何を表現したいでしょうか。他人の家の前に自分のゴミを置いておくことは特別な「文化的意味」でもあるのだろうか。あるなら、取り合えず教え てもらいたい。
その人たちは別の人は自分の家の前にゴミを置いておくと喜ぶのだろうか???????

Tuesday, May 11, 2010

湘南ライフ (3) - 自転車乗る人の挨拶

湘南ライフ (3) - 自転車乗る人の挨拶
自転車「階級」
日本にはそう言う習慣がないというならそこまでですが、ドイツでは自転車(ママチャリでコンビニに買い物しに行く人ではなくて、見れば「自転車が好き」な人)、オートバイ等お互いに知らなくても挨拶する風習ある。
それは残念ながら日本に余りないようです。
昔バイクも乗った時ライダー同士に挨拶するのは皆無だと気付いたときにもがっかりした。

最近の「自転車ブーム」で大変高級の自転車乗る人(団塊世代を含めて)が随分増えてきた。高級の自転車だけではすまない。色やデザインに合わせて頭の天辺から足の先までやはりブランド品のファションも身につけないと気がすまないようです。
私はそういうファションを購入するお金もないし、その意志もない。従って、私は走るときいつもボロボロのズボンとTシャツ(何れ汗まみれになるから)。しかし、そのような水簿らしい姿をして、例の高級ブランド品を身に纏う人を挨拶すると、帰ってくるのは挨拶ではなく、向こうに向いて「フムッ」。100人に挨拶をしてもその挨拶を返してくれる人は2-3人程度でしょう。

やはり何かの階級があるようで、私のような貧乏人は上げるべきではないでしょう。

寂しいですね。

Monday, May 10, 2010


湘南ライフ (2) - 我侭
これはきっと湘南に特別限定する必要はないでしょうが、私は「植物人間」 (=どこかで根を下ろし、後で動かない)ですので、目の前にあることについて述べる。
先日写真で分かるような形で仕事場の向かい側にあるマンションの車庫の真ん前に車と止める人がいた。写真撮ってから2-3分ご車庫から車で出ようとして、大変苦労した模様だった。似た形で他人に迷惑する事は最近町中所々で見かける。
マンションの車庫の真ん前に車と止めるのは所謂「常識に反する」だと思うが、それをやった人はきっと今風の人間だった = 自分さえ良ければお構いなしで結構。
私は現在31年間ほど日本に住んでいるが、その間そのような人間が随分増えたような気がする。日本人は他人を考慮する事が得意とするだと来日する前に信じていたので、残念だ。

Wednesday, May 5, 2010

I had a dream .....

「私には夢がある」(=I Have a Dream) Rev. Martin Luther King, Jr. 1929-1968


キング牧師程ではないが昔 - 夢が未だいっぱいあった頃 - 時々聞かれた:将来何をしたい/ なりたい?

その時何時も「この手で世界を変えたい」と答えた。
お金や権力の事ではない:文字通り「手」の仕事で世界に影響を及ぼしたい。
生意気でしょうが、治療者に相応しい「魔法の手」をしていると勝手に思い込んでいる。その手を使って、間の価値をを生み出したかった、職人として。

でも、既に51歳にもなって未だ自分の「天職」だと又思い込んでいる職業の基本もできていない、その夢を改めるべきでしょう:
三流の(私は)職人として何とか頑張る。

前ほどいい夢ではないが、これも悪くない・・・

湘南ライフ (1) - サーフィング

今日も自転車で治療院から海岸線を江ノ島まで走ってきた。それは昨年から再び昼休みの定番コースです。今日は温暖で穏やかのお天気で、海が絵本に出ても可笑しくない静かで綺麗だった。写真を撮るなら典型的な「静かな海」でした。つまり波はあるとしたら高さは27cmぐらい ・・・
しかし、海に大勢のサーファに賑わっていた。
私は多分歳を取り過ぎているでしょうが、上記の27cmの波を長時間を待って、もし来たとしたらそれに乗られたとしても、水平方向に進む(?)距離は58cmぐらいでしょう。その魅力は何でしょうね。
ヴィンドーサーフィングならまだ分かる。多少の風があれば快適から興奮するほど「走れる」でしょう。
でもサーフィングは???
もしかして目的はサーフィングそのものではなく ・・・

ダイエット (減量)


ダイエット (減量)

(写真: 昨年4月仕事用に「特大サイズの専門店」で買ったズボンです。その時丁度良かった。)
本職(自分は天職だと思い込んでいる)の鍼灸以外に翻訳(生活の基盤)の仕事関係でいつも深夜まで仕事する。食事の際晩酌をすれば眠くなり、仕事が出来なくなるので、深夜まで仕事していて、「今日はこの辺まで・・・」と思ったら、お酒少々飲みながらぼーとしながらテレビを見てから寝た。そこまでは未だ許されるかもしれないが、お酒に添える美味しいおつまみも冷蔵庫から見つけ出すのは災難の始まりだ。

このような生活をしてから昨年(2009)の7月に体重が三桁(100kg、身長169cm)まで増えた。体も重く動きにくかったし、そして鍼灸師の立場からも患者に少々減量したり、運動した方がお勧めだと言いながら自分は何もしなければ、「先生=先に生きる=模範」と呼ばれる資格がないため「減量」し始めた。
「ダイエット」は適切な表現ではないかもしれない。チョコレート、ドーナツ、豚カツなどなどなどなんでも食べるが、食べる量全体を少し減らし、深夜の酒も減らし/止めて、そして昔よく乗った自転車を再び乗る事にした。今頃略毎日約一時間一所懸命汗をかくようにに走っている。

昨年の7月から今年の2月(7―8ヶ月で)まで体重は凡そ21kg減った。
「やれば出来るな」と自分でも思った。
ただ単に食べ物制限するのではなく、余分のカロリも燃やしているから、体は歳の割りにそれなりに引き締まって来た。勿論運動によって、脂肪が落ちるだけではなく、訛っていた心肺機能も再び活性化された。
お陰さまで過去15―20年に刷けなかったズボンを再び刷けるようになった。それは嬉しいニュースでありながら、昨年お出かけように買った高価のズボンは今刷けばピエロのように見える。

今年の夏まで「第二ステージ」を挑戦して、更に4kg位を減らて見たい。
成功すればやっと身長で割り出す「正常の体重」領域に入る予定。
これで「先生」として自身を持って患者にアドバイス出来るし、ある程度の説得力もあるでしょう。

** 上記のお話は読売新聞の「体験談」に投書した所、紙面には載らなかったが所謂オンラインサイトに掲載していただきました:
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=28831