Monday, July 15, 2013

医療の意味を問う

先日読売新聞に面白い記事があった「精神科治療で薬剤依存症」
それによると精神科の専門外来に受診される患者の84%が処方されている薬に対して依存症になるか、薬を乱用する。本当ならば、なる程ね。本来患者は自分の病気を「治して貰う」ため病院に行く神話が「正式に」怪しくなる。
私の治療院に受診する患者の内精神科にかかる者もそれなりにいる。どのような治療を受けているかを聞くと:100%、例外なく → 薬を処方して貰った。では、私は精神科を専門的勉強していないが、個人的今まで読んだ本の中で精神科領域で使われる「治療法」の数とバライエティに驚かされた。それらの治療法は実際使われていないのか?日本だけ?それとも、手間と時間を掛ける治療法では十分儲からないから、兎に角儲かる方法=処方を何より優先にしたいのか。(医-ビジネスとしてちゃんと筋が通る)

似た事は整形外科領域にも言えるでしょう。

且つで自分が医者であったから、病院では病気を「治して貰う」所ではない事良く知っていた代田文彦先生の本:”もう「大病院」には頼らない - 東洋医学であっけないほど「痛み」を癒す”にもそのような事を大分前に書いてあった。その一冊は主に比較的対象しやすい痛みの事と取り上げているが、その他の病気も公で認められているより東洋医学的の治療(狭義では鍼灸、漢方)で時間を掛けて治ると私も思う。

この「時間」は要だ。
古き良き職人技を落ち着いた状態で発揮できる力は流れ作業で数十秒で処方される薬を勝ると私は個人的信じたい。
欠点は ・・・ 金儲けにならない。

Wednesday, May 29, 2013

「葉山ぎゅう」



これは食事の事 = 「葉山牛」ではなく、
私独自、葉山ならでは = 「葉山灸」の事を言いたい。
ご存知の方がそれなりにいると思うが、知らない人もいるでしょう:
→ 「隔物灸」 = 温灸 の事。
温灸ような艾は荒いから均等的に燃えませんので、大きめの塊を生姜やニンニクの輪切りに載せて燃やす手法である。艾が底辺の近くまで燃え、台を通して熱が伝わり、患者が熱いと訴えたら、燃える艾を台と一緒にずらす。

この「台」として従来に使われる生姜やニンニクの輪切りの代わりに、葉山の海岸で好きなだけ拾える貝殻を使う。再利用の出来るし、生ものではないので、台をずらす際手がべたべたしない。
→ 「葉山灸」 = 葉山ぎゅう

Thursday, May 16, 2013

死なない・・・・・

以前他のブログでも
http://blogs.yahoo.co.jp/thoacu/53863321.html

あご紐をしめない・・・死にたがる人・・・
5年ほど前に一度治療院の前で事故があったきっかけで読売新聞本社に連絡をとり、配達の人にヘルメットのあご紐ぐらいを締めさせろと頼んだ事をブログにも書き込んだ。
だが、一向改善が見られない。新聞を配達の人意外にも色々な人は同じ事をやる。小学一年生ではなく、立派な社会人だ。
あご紐を締めなければ「ヘルメット」を被る意味が全くない事を理解出来ないのか、それとも単位理解したくないのか。いぞれにして社会人として失格と言うべきでしょう。
倒れたら(衝突で倒された場合)頭が地面や先日治療院の前の事故ではブロック塀に叩き付けられた時点でヘルメットは既に何メートル向こうまで飛んでいる。
その場で即死すれば「楽」だろうが、人生の残りは完全麻痺した状態で車椅子に過ごす可能性が大!!!!! 

何でそれを理解出来ない/しないだろうか。

「知らなかった」と言われたくない。

Wednesday, May 15, 2013

尖閣 アピール足りない

先日読売新聞に「
日本(国)はそのままいつまでもボートしてしまうと世界中はその内中国の操作された情報を鵜呑みしてしまう危険がある。

この記事に出る:尖閣、政治 などの言葉は「鍼灸、治療」などに置き換えてしまえば、私はもう20年前から言い続けている話がそっくり出てくる。
鍼灸に関して日本人は自国の良さをいつまでも自分達の間のみこそこそしないで、チャント資料を翻訳(!)して、世界にアピールしないといけない。

しなければ、中国式の意味不明な中世時代に相応しい拷問方式=鍼灸治療がそれこそ世界の唯一の「標準」になる。
世界の人々はかわいそう。と私は思う。

尖閣 アピール足りない」と言う記事あった。無論それは政治、尖閣諸島にかんするものである。その関連において日本(国)が世界に向けて何がどうなっているかの説明/宣伝が足りないそうだ。特に中国は同じ問題に関して「国歌戦略」として巨額と投入し、中国の捻くれた思考パターンを世界中の人々に対して「唯一正しい見方」として押し付けてしまう。

Thursday, May 9, 2013

私は用済みだ!

先日新聞の折り込み広告が入っていた。(→画像)
病態を問わず何でも2-3で「改善」してしまう。(治すという意味でしょうか)
すげえ~~~

それでは私のような古臭い職人が全く用済みだ。
職人だけではなく医者もだ。

世界中誰がどのように頑張っても治せない病気はある周知しているはず。
本当に病人を相手にすれば、上記の広告文は「偽り有り」と判断せざるを得ない。
それとも最初から「病気」を相手にしないのでしょうか。

例えば極普通「変形性膝関節症」を例に挙げましょう。その場合骨の形が既に変わったから、ちょっとした手技で元の形に戻れない。そしてこの広告を出した「治療院」はある建物の二階にある。「変形性膝関節症」患者は二階に上がるのは病態によって出来ない事もある。そういう患者に「来るな」と言うのでしょうか。

私は職人としてそのような出鱈目な宣伝を見たくない。

神鍼会会報100号

今2-3ヶ月前に神奈川鍼灸師会会報を頂いて、その中に「今記念すべき100号を準備しており、会員の皆様から投稿があれば・・・」との記載があった。なるべく多くの会員から文章を載せたいとの話だった。
私は何時もの話題に付いて何か書いた。

所が先日来た例の100号を見ると「会員の皆様の投稿記事」の所に私のものを含めて正確4件掲載されている。それはいいですが、他の数多くの鍼灸師は発言したいものがなにもないのでそうか。もう少し活気あってもいいのではないでしょうか。

Thursday, April 25, 2013

信頼出来る医師 + お話

大変なおしゃべりである事が私の大きな欠点だ。
しかし、治療において時間を掛けて患者が分かるまで患者の状態や治療法を説明するのは治療の一部だともう20年以上前から言っている。

この読売新聞の記事はその事実を全く違う方面から立証しているようだ。