Monday, June 28, 2010

うつ病と体温感覚

最近ある患者を通して今まで余り気が付かなかった因果関係に気付かれられた。

つまり、うつ病の患者は来院して、部屋の温度が27度があるにも拘らず治療台に横になると「寒い、寒い」と訴える。写真の時:タオル上下それぞれ2枚ずつ掛けて、その上に毛布も!未だ午前10時でしたので温度計は未だ25,5度を示したが、その後昼に近づくと28度まで上昇した。再び刺された鍼に届く為に「発掘作業」が必要になってします。
それでも体は冷えているわけではない。触って見ると38度の熱があっても可笑しくない程熱い。でも本人は寒いと感じている。
ネットで調べた所に、やはり他にも類似の症状を訴える人がいるようです。ある精神科の医師が「うつ病(状態)が悪化すると体温感覚が狂う」と書いた。その先生によるとうつ病の悪化は体温感覚、不眠、及び脳内に分泌されるメラトニンと言うホルモンが密接な関係があるらしいが、その詳細はまだ解明されていない。
先日自転車を乗りながら(暑い日でした!)歩道に冬のコート着ている人が歩いた。上記の事情で「あ、あの人も・・・」と思った。

従って、家族などの人は体温感覚の異常を訴えている/又はそのような行動を示しているようであれば、本人はそのような事なにも言わなくても「うつ状態/病」の可能性を視野に入れる必要性があると思う。

Thursday, June 24, 2010

ホームページ(一部)を翻訳する

鎖国時代」は歴史的に見れば終わりましたが、基本的「古い」鍼灸の世界に於いて特に日本は閉鎖的な態度をずーと取り続けているし、日本国内に行われている研究、業績などは翻訳されないから「世界」の舞台に現れないから鍼灸に関して「知的財産」(その辺中国人全く概念理解できていないのに)皆中国の物だとなりましたから昨年 6月に行われているInternational Symposiumにおいて海外の演者が全ての発表を通して「中国風=本当の鍼」、「日本風=偽の鍼(sham acupuncture)」との風潮が貫きました。演者本人皆「日本の鍼(の事情)は知らない」と言いました。
現時点多数の先生方が既に自分のHPを持っているに違いありません。その一部を英語にする事以前から考えた先生方も恐らくいるしょうが、値段が高すぎたたり、やり方が分からない、どこに頼めばよいのかが分からないため手を出せなかった事キットあると思います。
日本国内に発行された(鍼灸関連)HPの一部でも海外の方が読められるような形にお手伝いが出来ましたら嬉しい。私は25年の臨床経験ある鍼灸師でもありながら、同じく25年間の間生活の基盤は翻訳作業でした。手前味噌ですが、そういう背景の前でもしHPを翻訳するなら、私は適任でしょう。
翻訳会社を頼んでも勿論いいですが、無論翻訳会社は翻訳者の仕事料以外手数料などなど請求しますので、どうしても高くなります。そして翻訳会社が頼める翻訳者の内に鍼灸の臨床現場を知った上で翻訳できる人材が非常に少ない筈です。(私は多数の翻訳会社に登録してありますので、このような内容の仕事が依頼されたら、その仕事が私の所に来る可能性はそれなりに高い。だが、翻訳会社が間に入っているから、当然その分多角なります・・・)
ですから、翻訳の計画しているようであれば、是非一度声を掛けて下さい。

Wednesday, June 23, 2010

鎖国時代

日本は - こちらの関連ですと鍼灸の世界 - はまだまだ鎖国時代から抜け切れていないような気がしますし、その鎖国時代は余りにも長い間続いたため直ぐにそれなりの変化は見られないでしょう。
* 専門学校に入る前に数件見に行きました。一つの学校では試験も何もしないで「内は外国人要りません」と断りました。
* もう20年余り前から(当時に今風のブログなどなかった)私は常に聞きたい人(聞きたくない人にも言いましたが)に「日本人は自分の技術、伝統。文化などにプライドを持つべきです」言いました。相手はそうですねと言いながら顔の表情から「あの外人は頭おかしいじゃないか」とはっきり写っていました。
* もう10年余り前から私宛に「日本で勉強したい」と言う願い/問い合わせが来る時色々と努力して来ました。自分の所には殆ど患者もいないし、私は無知で技術的も劣等生であるから、その度自分より遥かに立派の先生に連絡しましたが、「お前煩くて迷惑」だと言われたりして、仲間から「お前訳のわからない外人の面倒見るのはやめろ。自分の評判を悪くするだけだぞ」も言われました。
* 10年ほど前に全日本鍼灸学会において特別公演はNIH(だと思う)の代表者がなさった。その中にNIHが鍼灸に関する"consensus" を発表するまでの経緯が述べられた。あやふや、信憑性の(殆ど)ない中国の文章に基づいて鍼灸に関する「化学的根拠」を見出された。しかし、例の consensusは得られた後になったころ、それより信憑性の良い、良く纏められた文章は既に20年ほど前に日本で発表されたが、英訳がなかったし、日本人は自ら進んで「ほろ、こんなにいいものありますよ」と言わないから知らなかった。結果として鍼灸に関して「知的財産」(その辺中国人全く概念理解できていないのに)皆中国の物だとなりました。
* 昨年 International Symposiumにおいて海外の演者を読んで幾つかの公演がありました。しかし、全ての発表を通して「中国風=本当の鍼」、「日本風=偽の鍼(sham acupuncture)」との風潮が貫きました。演者本人皆「日本の鍼(の事情)は知らない」と言いました。日本の鍼を讃えるものはいなかったし、外国人講師に積極的に反論する者もいませんでした。それらの講師を招いたのは何方でしょうか。
* よって、過去何十年の間中国の強い売り込みに対して日本人は内気になって、自分の良さ世界にアピールする事は略皆無でしたでしょう。つまり、中国風の鍼は唯一の「本当」の鍼(技術)で、日本は中国の出来損ない弟子に過ぎないことが世界中の「常識」となった。
* 翻訳関連ですが、アメリカで「日本の漢方」(=中医学ではない!)ある雑誌を通して広めたりして、理解をしていただくために時々翻訳する文章あるが、その表現、表記の仕方中国語もどきや外国人に理解が殆ど不可能の形を意図的に選んでいる(http://blogs.yahoo.co.jp/thoacu/60300971.html)。

* この状況の中では鍼灸を学びたい人は**先ず**中国を見るでしょう。日本に注目する人は少ない筈です。言ってみれば**日本**で鍼灸を学びたい者はかなりの変わり者だと言うようがありません。しかし、それをいい方に解釈すると、態々日本で何か学びたいと申し出る人は最初かそれなりに勉強してきた筈 = 勉強家で、真面目で頑張りやだと考えても然程おかしくありません。
そして、日本で鍼灸に関して学びたいのは夢です。ですからそういう人は自ら「日本の先生は英語出来ないから行かない」と言う人は私は今までであった事ありません。勉強したい人は自分から進んで日本語を勉強する努力もするし、身振り手振りでよい。何とかなるでしょうと言う覚悟で来ようとします。
その半面に日本の先生は「私は英語出来ないから、内の所に来ては困る」と断ると言う閉鎖的な対応するチャンスが大きいです。
それで今までやっと見学希望者を「受け入れる」兆しが微かに見えたといっても、原則的見学は一日、或いは半日に限る、或いは(その意味私には理解出来ないが)全日本鍼灸学会の会員でない先生が協力を申し出ても「断る」と規制が掛けられる。

私にはやはり「鎖国時代」に見えます。もし「見学(修業)希望者」がいましたら添付の写真のように我が家の周りにとても人を寄せ付けないように壁で囲むより両腕を広げて真の意味で「歓迎」(喜んで迎える)体制だけでも確保する事は何とか出来ないでしょうか。
お蔭様で

開業15周年
トーマス鍼灸院




葉山町でこの小さな治療院を開業してから、
早くも15年経ちました。

歴史の資料を見ますと:
「日本に鍼灸の技術が伝わったことは6世紀頃から記録が残っています。奈良時代(710~784)には高僧鑑真が医学教育に携わったことが有名で、「律令制」において既に鍼師(官職名としては針博士・針師)が医師、按摩師などと共に存在していたことが分かる。」

つまり、日本で既に1300年余り途切れることなく、教育(資格)や社会面において安定されている形で行われている事から鍼灸治療は良い、信頼性のある職人技である事が分かります。
私は個人的に今更現代風の売り込みしたりして、意味がはっきりしない「ヒーリング」や「癒し」等の流行の言葉で宣伝するのは邪道だと感じます。
無論、鍼灸治療は魔法でもないし、多くの場合には西洋医学的治療法の方が遥かに有効ですが、同じく多くの場合後者はなす術もありません。その際こそ千年以上を亘って洗練された伝統的技術を再検討/思い出す/振り返って見るべきのではないでしょうか。

私はそう信じます。

Friday, June 18, 2010

人ゴミ ・・・



人ゴミ ・・・

「人ゴミ」は無論「人込み」の事ですが、例年通り夏の期間中多数の観光客が来ると、その数次第で「込み」は「ゴミ」になるのは特に目立っている。しかし、年中私は理解出来ないような概念を持っている人が他人に自分のゴミを押し付けて(人の敷地を汚して)何かを表現したいらしい(此方の勘違いか)。つまり、観光客は来るとき重たい 物(食料、飲み物など等)は「わしょいわしょい」しながら来るが、手ぶらに帰る。ゴミは全部置いてしまう。
ゴミ箱に入れたりするのならはまだいいですが、手当たり次第、何処でもいいと言うスタイルで「置いておく」事も勿論あるが、どちらかと言うと「ぽい捨て」 と言えば適切でしょう。

そういう訳で私は本来は綺麗なビーチを汚す人を「人ゴミ」と呼ぶ(呼ばざるを得ない)。

その中もまた「特殊」の行動がある。私の治療院も常にその対象となる:
歩きながら何かの缶ジュース/コーヒー等を飲んだりして、***技と***人の家の玄関前、ブロック塀の上、ポストの上等に置く。
そういう人は何を表現したいでしょうか。他人の家の前に自分のゴミを置いておくことは特別な「文化的意味」でもあるのだろうか。あるなら、取り合えず教え てもらいたい。
その人たちは別の人は自分の家の前にゴミを置いておくと喜ぶのだろうか???????

Tuesday, May 11, 2010

湘南ライフ (3) - 自転車乗る人の挨拶

湘南ライフ (3) - 自転車乗る人の挨拶
自転車「階級」
日本にはそう言う習慣がないというならそこまでですが、ドイツでは自転車(ママチャリでコンビニに買い物しに行く人ではなくて、見れば「自転車が好き」な人)、オートバイ等お互いに知らなくても挨拶する風習ある。
それは残念ながら日本に余りないようです。
昔バイクも乗った時ライダー同士に挨拶するのは皆無だと気付いたときにもがっかりした。

最近の「自転車ブーム」で大変高級の自転車乗る人(団塊世代を含めて)が随分増えてきた。高級の自転車だけではすまない。色やデザインに合わせて頭の天辺から足の先までやはりブランド品のファションも身につけないと気がすまないようです。
私はそういうファションを購入するお金もないし、その意志もない。従って、私は走るときいつもボロボロのズボンとTシャツ(何れ汗まみれになるから)。しかし、そのような水簿らしい姿をして、例の高級ブランド品を身に纏う人を挨拶すると、帰ってくるのは挨拶ではなく、向こうに向いて「フムッ」。100人に挨拶をしてもその挨拶を返してくれる人は2-3人程度でしょう。

やはり何かの階級があるようで、私のような貧乏人は上げるべきではないでしょう。

寂しいですね。

Monday, May 10, 2010


湘南ライフ (2) - 我侭
これはきっと湘南に特別限定する必要はないでしょうが、私は「植物人間」 (=どこかで根を下ろし、後で動かない)ですので、目の前にあることについて述べる。
先日写真で分かるような形で仕事場の向かい側にあるマンションの車庫の真ん前に車と止める人がいた。写真撮ってから2-3分ご車庫から車で出ようとして、大変苦労した模様だった。似た形で他人に迷惑する事は最近町中所々で見かける。
マンションの車庫の真ん前に車と止めるのは所謂「常識に反する」だと思うが、それをやった人はきっと今風の人間だった = 自分さえ良ければお構いなしで結構。
私は現在31年間ほど日本に住んでいるが、その間そのような人間が随分増えたような気がする。日本人は他人を考慮する事が得意とするだと来日する前に信じていたので、残念だ。