Monday, February 25, 2008

認識 - 健康問題 / 環境問題に通用する

認識 - 健康問題 / 環境問題に通用する

多数名健康問題や環境問題は多くの共通点あると思う。それも当然だろう。通常に「健康」を言えば人体と言う小宇宙内の出来事を指していえる。環境問題の話になると地球と言うシステム内に起こること。地球システム中には人間単なる「細胞」の一種に過ぎない。
さて、例えばせむし男のような姿勢で裸眼で識別出来ないほど小さい文字がびっしりと書かれている画面を長時間を見ると肩がこったり、頭が痛くなったりする のはどちらかと言えば当たり前。そのような症状を治そうと思うならば、患者本人は先ず自分の姿勢は行動を認識しない限り直る見込みがあまりないでしょう。

コンビニの真前、カーブのど真ん中(悪い言葉使いで失礼)にエンジンをかけぱなしにして車を止める人もその時点で環境問題を起こしている事を認識しないと、30年後人類が大いに苦しんでしまう(つまりその人の子供や孫あたり)に関して文句言う資格はないだろう。

個人の健康も地球の健康も何かが「悪い」かを認識することで始めないと失望的だ。
よって、健康/環境問題に取り組むため、世の中何が起きているかを**皆で**認識しましょう。

医師不足

医師不足
world ranking からみた:
医者の数、1997-2004年
人口10万人当たりの人数 = 198
世界の187ヵ国中 の 61位
OECD内 27位 (30ヵ国中)

つまり、「先進国」の割りに必要な/優秀な人材を育成されていない。特に医者の場合には問題が国の教育基本概念にあると思う。私立の学校が多くそして有名 な学校に入れば後のキャリアーは順調と考えられ、入学金、授業料など を考慮すれば、金持ちの子供しか医者になれない。その子供たちには「医者の素質」あるかどうかは無関係なようだ。

国は安定し、将来に余計な心配したくないならば、教育の費用を気にせず、その素質のある子供たちややる気のある子供たちに国立の学校で(無料)に教育をすれば、最近話題になったお粗末の問題=医者不足にならなかったでしょう。
家の次男も一時的「獣医」になりたいと思ったが、かかるお金を考えて、一般の労働者の私にはとても無理だったため、断念した。

教育は目先の商売でいいのか、それとも30年先の国益を考えたほうが良いのか - いまはそれを考えるよい機会ではないでしょうか。

Thursday, February 14, 2008

病気

病気

 ここでは心筋梗塞糖尿などの特定疾患のお話ではなく、東洋医学的な概念での「病気」のお話をしたい。病は気からと言う慣用は誰でもしている。あらゆるの病は多かれ少なかれ「気」によるか「気」に影響を受けるのは東洋医学で考えている。

 したがって、来院する患者はその「病の気」を持って、出来る限り早くなくしたい。その気持ちは良く分かるつもりだ。では具体的には・・・

患者自分の病の気を治療に「取ってもらいたい」、言い換えれば治療に送り込み、その代わり治療から「元の気 = 元気」、つまり健康である能力を受けたい。

 治療はこの「病の気をなくして、元の気を取り戻す」過程において単なる仲介役(理想に)ですが、やはり「気をつけない」と病の気の渦に巻き込まれる。つまり、治療は病の気のゴミ箱のようなものだ。そして、どのゴミ箱は何時かいっぱいになる。治療は病の気で満杯になってしまえば、治療出来なくなるし、自分病気に成る。

 自然から新鮮な「気」を取り入れて「充電」しないといけない。私はそのため定期海に行って、生命の母に手を翳していらない病の気を放出してから新鮮な気を頂戴し、海(空、大地など)に感謝する。

Tuesday, February 12, 2008

日本教育  知的体制

別にどこの国が特別よい、日本特別駄目(そういう面はなくもないですが)ではないが、世界ランキンを少し覗いた所で以下のものを見つけました。日本自己認識は何となく焦点が少々ずれているところがあるように思う。

世界先端経済(まだ)でありながら他国コミュニケーションをとるためにもっとも頻繁に使われている言語英語教育に関して日本はほぼ世界最低レベルにあたるようだ。それに多かれ少なかれ「差別」や「外国に対する不安」(私は鍼灸として外国から日本見学しに来たい方のために見学できる場所探す苦労に関する記事/私のHP参照してください)にも関係しているのではないでしょうか。「差別問題の小ささなさ」に関しても日本TOEFL一緒世界最低レベルにある、つまり色々な意味で「差別」が盛んに行われている。

文章読解が落ちながら日本世界漫画読者ですが、小説などに関して開発途上並みになる。雑誌読者人口も又世界ですが、私は街に出かけて回りを見て人々が読んでいる、或いは広告され、店頭に並べられている「雑誌」をみると、そう品質に関して大いに疑問を抱かざるを得ない!

以下のところで色々のランキンが見られる。それなりに面白い!

World Ranking

http://www.dataranking.com/country.cgi?LG=j&CO=15

Monday, February 11, 2008

自然の力と文明の利器

自然の力と文明の利器

最近テレビで漢方薬の宣伝では「自然の力」と言うキャッチフレーズが使われている。この「自然の力」は人間の希望的感想に合わせてとても良いものとされて いる。しかし、風、雨、寒さ、夏の暑さ、地震、洪水なども皆「自然の力」だ。ここでは寒さと夏の暑さに限らせて少々触れてみたい。
 漢方薬に関して「自然の力」に憧れながら – それもまた「無理しても良い」と言う間違った概念に基づいている – 最近の建築を見ると、かなり裕福の 変わり者が昔風の日本家屋を作らない限り、最初から「自然の力」を除外/排除し、暮らしを無条件で完全に「文明の利器」に委ねるようになってしまう。つま り最近の家は最初から電気で作動するエアコンに頼り切っている。御蔭さまで日本は電気消費の王国であって、下にあるように世界ランキングの第三位である。 それで世界一資源の浪費国アメリカに限りなくに近づいてしまう。
 当然それだけの電気を消費してしまうなら、それなりの代償も払わなければならない。例えばCO2排出量の増加や発熱(エアコンの排熱)による地球温暖化を促進する。
 伝統的な日本の気候にあっている建築、生活の様式は現代物よりも「自然の力」を上手に利用していた。光のあたり具合、風通し、水巻、家の周りの(町の見 た目も勿論)緑等などの点では今よりかなり優れていたようだ。違うのは「便利さ」。指一本でボタンを押せば冷風舞い上がる。だが自分の便利を優先にして、 日本のように電力消費(浪費の部分も多いに違いない)で子供や孫の将来を犠牲してもいいのでしょうか。少々不便であっても「自然の力」の利用をお薦めした い!
電力消費 - 2002
単位: 100万. kWh
1  United States
2  China
3  Japan
4  Russia
5  India
6  Canada
7  Germany
8  France
9  United Kingdom
10 Brazil
11 South Korea
12 Italy
13 Spain
14 South Africa
15 Mexico
16 Australia
17 Ukraine
18 Sweden
19 Saudi Arabia
20 Poland
21 Iran
22 Turkey
23 Norway
24 Thailand
25 Netherlands
26 Indonesia
27 Argentina
28 Belgium
29 Venezuela
30 Finland

Sunday, February 10, 2008

「裸」のお話ではないが、日ごろ患者に「脱衣」をお願いしてもなかなかそれなりの協力は得られない。

鍼灸と言う治療直接肌に鍼を挿入し、或いは直接肌にお灸を施す療法だ。従って、それなりに肌を出してもらえないならば気持ちよく**正しい**治療はできない。又、本来治療に入る前に体表に現れている様々な変化を捉えて(視覚体表変化を読み取る)治療方針を定めないといけない。

しかし、いくらお願いしても相変わらずそのような事を理解してくれない方が多いようだ。「肩が凝った!」と訴えているのに上着を脱いでくれない。特に女性に多い反応だ。襟元適当な所で**届く範囲**治療するしかないようだ。私の仕事大変難しくなるほか、そのような対応は少々「邪道」でもある気がする。


特に女性患者に告ぎたい:「脱いで」とお願いしたら下心があるわけではなく、鍼灸治療を行うには直接肌を見たり、触ったりする必要があります。

腹部/背部なども診察/治療が出来る、と言うのは前期の領域を「見渡せる」程の脱衣へのご協力をお願いします。

Saturday, February 9, 2008

「時間を厳守せよ」という記事に関するコメント

代替医療通信、第12号の「ハートtoハート」記事に関するコメント
これは著者に対して個人的な批判ではなく、単なる異なる思考(気になる違いですが)の表現です。

先ず、著者(病院の理事長、医師)「(出勤など)時間を厳守せよ」と言う考え方を表現した。無論それは大事な場面もあるでしょうが、今毎日新聞で見る限り「医師不足」や「医師のか過酷勤務」が問題されているです。もしそうであるようでしたら仕事仲間同士で「時間を厳守せよ」と責められるのは決して喜ばれ事はないでしょう。私の治療院では患者が見える範囲内には時計がありません。院内の時間の流れが別世界のものです。このように「時間を気にしない」状況は患者の間に評判が良いです(救われると表現する患者もいます)。
当然著者は病院で勤務中の話をしているから状況が異なります。しかし、ここでも基本概念が少々ずれていると思います。単純にお互い勤務し、働く時間に基づいて給料頂くもの同士の話であれば、チームの一人が遅れたり、休んだりしますと他の仲間が裏切られていると解釈するかもしれません。しかし、そのような考え方はいかにも「お金(給料)」の尺度次第で測られています。それは大変悲しいことです。
少々脱線かもしれませんが、ドイツ語では「仕事=職業」は "Beruf" と呼びます。この単語は「"Berufung" = 召命」から由来します。もし医療従事者になった理由は「医者になれば金持ちになる」概念に基づく(医者になるのは最初から裕福の家の出身でないとこの国では所詮難しい・・・)ようであれば、同僚の批判は理解できなくもありません。しかし、もし医療従事者になるのは上記の「召命→使命 =  "Berufung" =天職」だと信じるようでしたら、患者の為命を捧げて全力尽くすのは当たり前です。ただ、医療従事者も人間ですので、体力の限界はあります。無理の勤務体制の為に体を壊してしまえばこそ、患者の最悪の迷惑になります。患者にそのような迷惑をかけないため、適切は休みを頂くのはどこにも悪くありません。同僚など(病院の人事部を含む!)もこの人は上記の意味で天職を従事すると分かれば、批判は出ないはずです。

次に、「言い訳無用」の文中に「結果は全て」と書かれている所もありました(ドイツ人の話にも出てきました)。これは軍人の発言のように聞こえます。私は医療現場では「結果は全て」が有り得ないと信じます。上で天職の所で触れたように、全力で頑張っていても結果と繋がらない事もありますので、「大目」に見て欲しいです。
 そして、ここは国民の違いはあるかもしれません、著者の文を読むと「言い訳」は悪いことだと言うように聞こえます。私個人的はそれがどちらかと言うと「説明」と解釈しています。患者や仕事の同僚に対して○○何で出来なかったかを説明すると「ああ、この人も只の人間です」と言うように納得しやすいです。

上記のように医療従事者は「召命=天職」をしていると分かれば、日常のパターンを少々変則にしたり、時間的ルーズであっても全く気にせず気楽/楽しく仕事が出来るでしょう。楽しく仕事できるようでしたら「効率」も当然のように上がと私は信じています。

常識のないドイツ人より

ありがとうございます
トーマス鍼灸院
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医道四弘誓願
疾病無辺誓願療
病因無尽誓願断
病理無量誓願学
医道無上誓願成

当日雑誌の編集部からお返事がきました:

Thomas Blasejewicz 先生


きょうは忌憚のないご意見をありがとうございました。

いくつかの解釈・認識の仕方・持ち方の違いもあるでしょうが、
率直に受け止めておきたいと思います。

あす、著者と会いますので、
このようなご意見もありました、と申していきます。
もし、回答があるようでしたらお知らせいたします。

まずは御礼申し上げます。